昨日に引き続きAIと芸術の話でも書こうかなと思います。
こんばんはsata/ORCAです。

昨日こんな記事を書きました。

そして今日はこんなニュースが話題になっていました。

内容についてはまあ、そういう日が来たという話で画像生成AIで生成した画像が人間の作品を差し置いて品評会で1位になったというものです。

原文までは読んでいないのでGigazineの記事の内容から引用しますが、1位をとった作品を提出した方の主張は「誰がどのように描いたか」ではなく「作品」を評価すべきであるというもののようです。

アレン氏は「批評家たちは芸術を『制作方法』で判断しています。極端な見方をすれば、あるアーティストが逆さづりで描いた絵は、他のアーティストとは異なる評価を受けるべきということでしょうか?」と述べ、作品そのものではなく「誰がどのように描いたか」を評価する風潮に疑問を呈しています。

このような作品のコンテキストを廃して評価することは実力主義的、競争志向的な評価として一理あり、実際には当該作品がコンテストで評価され、人間が制作した作品と遜色ないと判断されているわけですから、このような主張も一面的には正しいと言えます。

一方でこの「作品だけをみて評価する」というのは極端な言い方をしてしまえば「作家がどれだけ酷くても作品が良ければ評価されるべき」とも言い換えられます。
完成度を競うコンテストと言う場ではなく、単に人が芸術を評価するときにはそこに必ず評価者の主観があり、この主観の中には「誰が」、「どのように描いたか」と言う評価軸も存在します。

特に昨今はファンと作家の距離が近くなったこともあり、より一層「誰が」と言う部分が強く意識されるようになっているように感じます。
この辺りが機械が生成する作品に対して、人間の作家の生存戦略になるような気がしていて、「あの人の作品だから買う、作家に投資する」と言うような、作家経済圏を作り出す動きが加速するのではないかなと思っています。
または反対に、「誰がどのように描いたか」を意識せずただ気に入ったものを選ぶと言う風潮も強まるように思います。
後者の流ればただ消耗品として消費されるだけであまり経済に紐付かない気もしますが。

いずれにしても私たちのようなオタクは「監督」と「脚本家」と「制作スタジオ」と「声優」で見るアニメを決めるような生き物なので、応援したい作家を応援する形の方が性に合っているんじゃないでしょうか。

やっぱり大事ですよ、「誰が作っているか」は。

それでは。